第3話 置かれた子猫の箱と一足先の春 It Might As Well Be Spring

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  2022/2/16
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”ひとは人生のなかでしばしば子猫の入った箱を、思いもかけず背負い込むときがある。
それを春という”
すさまじい熱と浮遊感にアキラは朦朧と目を開けた。
炎をあげて夜空に上昇するジェットコースターの床に横たわっている。いや違う、ここは千葉都市モノレールの車内だ。割れた窓からひょおおと火と風が舞い込み、地上の夜景が眼下に見えた。
焦げ臭さの中、なぜかふわりと甘い香りがする。長く柔らかい髪がアキラの顔を撫でた。誰かが自分の身体を抱き支えている。
少女、ナコだ。その姿は鋼鉄のような鎧で覆われている。その指にはまったリングについた赤い石が不気味に光った。と、車内は急下降に転じる。奈落へ向かう。
「助けてくれ」
身体は石のように動かない。恐怖が全身を貫き、アキラは悲鳴をあげ、再び目の前が真っ白になった。

のどかでうららかな空と港。太陽は高いが、風は冷たい。
千葉港の桟橋に停まる白い車体のキッチンカー『silver spoon』のオープンテーブルで、アキラはたらこパスタを口に運んだまま、ぼうっと海を見つめていた。勤務先の湾岸にある鉄鋼会社から昼休みに、ここにランチを取りにくるのは日課になっていた。
「アキラ」
店主である白いエプロン姿の銀嶺がアキラの前に座り、白の帽子を脱いだ。
「また悪い夢?」
アキラは寝不足の目をこすって言った。
「現実か、それともまだ夢の続きを見ているのか。わからなくなるときってないか」
「マトリックスのセリフにもそんなのあったね」
無表情でどこか遠くを見ているような銀嶺の眼差しは学生時代から変わらない。
「ギン…俺って、めんどくさいことに手を出さない人間だよな」
「うん。気に入らないことは一切しないな」
「面倒なことは大嫌いだし、ヤバいことには関わらないし」イラつきながら言う。
「情に流されるなんてクソだ。部屋の前にボロボロになって鳴いている子猫の入ったダンボール箱を置かれたとしても、手を出す博愛に満ちた人間じゃない。断じて」
「置かれたの?子猫の入った箱」銀嶺は聞く。
「ただの例えだよ」アキラは眉をひそめた。
銀嶺は少し愉快そうに言った。「でもその子猫の正体は何かって考えると、ワクワクするだろ。運命の出会いかもしれない。もしかしたら願いをかなえてくれるのかも」
「願いね…そんなの俺にはどうふっても出てこんわ」
 アキラを銀嶺はしばらく鳶色の目で見つめた後、言った。
「そうだアキラ。おまえにファンタジーは似合わない。妄想の糸を紡ぐのはやめるんだ」
「妄想…」
「やっかいなその箱は忘れろ。あやしい子猫には手を出さないに限る」
じっとアキラを見据えて言う銀嶺に、笑ってパスタをかきこんだ。
「ヤバいもんに手ぇ出すバカに見える?」
 明るい桟橋通りにはカモメが舞っていた。

港の空は曇っている。早春近いが風はまだ冬のものだ。休日の桟橋通りをアキラはイライラと足早に歩いていた。
忘れようとすればするほど、頭から離れなかった。ナコが。
にぎわう桟橋を通り抜けると、通りの裏に年季の入った蔦のからまる煉瓦色のアパートメント、みなとハウスが姿を現した。その一角「黒船みなと相談所」の小さな看板の掛かるドアを、アキラはノックしようとしてふと止まった。
「ああ、俺はバカ野郎だよ」
扉を叩く。少し間があり、開く。そこには眠そうなカモメが不機嫌に立っていた。
「…ナコならまだ寝てるよ。昨夜仕事で遅かったからね」
「前も思ったんだけども、そもそも」アキラは聞いた。「カモメってしゃべれんの? 人の言葉」
「鳥がしゃべっちゃ悪いか。さっさと帰んな」
「じゃ、なかで待つよ」
「待てよ。一人暮らしの女子中学生の部屋に入り込む気か?」
立ちはだかるアルに、アキラは茶袋を掲げた。
「みやげ。フライドポテト」
袋を奪うアルをかわし、アキラは中に入った。居間と二つの部屋のドア、こじんまりした2DKのつくりで、居間には黒い革の古びたソファがある。小さなキッチンのそばのテーブルには花柄の布カバーが敷かれていた。父親と二人暮らしだった部屋は質素だが、少しでも明るくしようと工夫が施されていた。棚には幼いナコと母親、そしてアキラの大学時代の恩師だった雄造の写真がある。その写真のなかのナコは口にクリームをつけて大笑いしていた。
と、奥の部屋が開いて、だぶっとしたシマシマのパジャマ姿のナコが出てきた。
「アキラさん?」
目を丸くすると手でパジャマを隠すように、慌てて部屋に戻った。

ポテトを食い尽くして窓際のカゴにすやすや眠るアルの横。
部屋にこうばしい香りが広がった。白いセーターとスカートに着替えたナコは小さなキッチンで丁寧にコーヒーを淹れた。マグカップに注ぐと、ソファに座るアキラに差し出した。そして「寒いでしょう。雪になるかも」と唯一の暖房器具らしき丸い石油ストーブをアキラのそばに置いた。
アキラはそのコーヒーに口を付け、ちょっと驚いた。「うまい」
「よかった」湯気の向こう、ナコのにっこりした笑顔が見えた。
海が見える窓のもと、ナコと向かい合い、アキラは本題を切り出した。
「大晦日の夜。君と深夜のモノレールに乗ったら、暴走して空に舞い上がった。で、君は何か、鎧みたいなものに身体を変身させた。何度も夢だと思おうとした。けど、やっぱりあれは夢じゃない。そうだろ?」
真剣なまなざしのアキラにナコはうつむいた。しばらく逡巡したのち、決断したように顔を上げた。
「知りたいですか?本当のこと」
「ああ」
「二度と、引き返せなくても?知らなかった前に戻れなくなっても、いいですか?」
その瞳の奥は暗黒のように暗い。アキラはたじろぐ、が、頷いた。
「いいよ、早く言ってよ」
「わかりました」ナコは立ち、一つの扉を指した。
「父の部屋です。どうぞ」
その扉を開けてこちらを促す。アキラは薄暗い雄造の部屋に入った。ベッドと小さな机だけが置かれた簡素な部屋だ。ナコは机の引き出しを開け、なかから小さな古びた茶革の手帳を取り出した。
「いなくなる直前の父から、これを渡されたんです」
ナコはそう言い、失踪直前のできごとを語った。
その夜、普段穏やかな雄造はひどく動揺し、こう言ったという。
『事情があってしばらく帰らない。これは私の作った、ナコを守るナコだけのものだ。本当に願うことだけに使いなさい。誰にも渡さないで』と。アキラは学生時代に出入りしていた雄造の教授研究室を思い出した。雄造は量子力学の専門で、独創的な研究を展開していた。
ナコは雄造の手帳を開けてみせた。と、空洞があり、そこには赤い石のリングが埋め込まれていた。「夢」で見た、鎧の少女がつけていた指輪だ。アキラは息をのむ。
「これが何かは、そしてなぜ私に渡したのかわからないけれど、不思議な力があるみたいで」
「不思議な?」
ナコは手帳からリングを取り、そして意を決するように指にはめた。そして、アキラを見上げた。
「一緒に来てください」

アキラは赤石のリングをはめたナコの後をついて、夜の千葉ポートパークの円形広場に立った。
千葉港に面した広大な芝生の広場は、もう少し季節が進むときれいな桜が咲き、家族連れでにぎわう。が、園内の桜の芽はまだ硬く、夜の寒々とした公園は散歩する人すらいない。東京湾一帯を見渡すようにそびえる地上113メートル、全面ミラーのポートタワーが背後に冷たくきらめいていた。
ちら、ちら、と粉雪がふたりに舞い降りてきた。
ナコはリングの手を胸に、念を込めるように握りしめた。
「コントロールがむずかしいけど、私の想いに反応するんです」
「想いに反応?」
ナコはリングの手を天に突き出す。突きあげられた赤石が光った。
「咲け!」ナコは叫んだ。
次の瞬間。公園の丘に立つ桜の木々に花がポッ、ポッと咲き始めた。やがて、園内の桜の木はすべて満開になった。季節外れの桜の花びらが雪と混じって舞う中、アキラはその場でただ立ち尽くしていた。
「嘘だろ」
「私が望むとその通りになる。願いがかなう石なんです」ナコは言う。
「願いが、かなう?」
驚きはこれだけではなかった。
「戦う姿にもなれる」
ナコは目を閉じる。と、身体が、鎧に包まれた姿に変わっていった。あの夜の、鬼神のような。
逃げなければ。しかしアキラの身体は金縛りにあったように微動だにできず、声をあげることすらできなかった。足元で地鳴りがした。
ナコの指から放つ赤い光はやがて、アキラに向けられていった。
「な、なに?」
ナコは哀し気な瞳をアキラに向けた。
「かかわりになると不幸にしてしまう。悲しいけど…あなたの脳から私の記憶を消す!」
アキラの身体はナコにがっしりと抱かれた。赤い光が妖しく、ふたりを包んだ。
「これで怖い夢も私のことも、全部忘れられる」
「記憶…脳? 消すって…や、やめろ、よせ」異常なナコの力に動けない。
「アキラさんのためです」白い息交じりのナコの頬からは涙が伝わっていく。「巻き込みたくないから。私にほのかな希望をくれた、アキラさんのために」
「やめてくれ」
そして雪と花の吹雪のなか、アキラの視界は真っ白になった。
やがて嵐が治まった。アキラは辺りを見回す。たった一人で雪の中に立っていた。
いつのまにか桜は、元の硬い芽に戻っていた。

翌日の日曜は快晴の空だった。
みなとハウスの部屋の窓からは雪遊びする子供たちの笑い声が響いていた。ナコは自室で布団にもぐってうずくまっていた。雪のホワイトと海と空のブルーが、ナコの瞳に映る。
昨夜のことは仕方ないことだった。アキラにこんな自分と関わらせてはいけない。けれど、なぜか哀しくてたまらなかった。
「ナコー、大変。大家さんだ」
そのときアルが焦って、飛び込んできた。家賃の未納分を取り立てにきたという。ナコは慌ててカーディガンをひっかけた。
「困るのよね。三か月も滞納して。今日こそは払ってもらいますよ」
険しい顔で立つ太っちょの大家のおばさんに、ナコは恐る恐る封筒を差し出した。
「足りない分はもう少しだけ待ってください」
「大体ね。お父さんはまだ帰らないの。あなたひとりとなると、貸すわけにもねえ」
腕組みする大家さんはアルに気づいた。
「きゃっ、カモメなんて飼って。海に帰りなさいっ」
おびえてアルはナコの陰に隠れた。
「お願いします。ここに居させてください! 父は必ず戻ってくるので」
ナコは必死に頼んだ。ここを出たら行く宛すらない。大家さんは冷酷に首を振った。
「可哀そうだけど、出ていってもらいます。ちゃんと保護者がいないとまずいので」
そのとき、声が響いた。
「ここにいますよ」
ナコが戸口を見るとそこにはアキラが立っていた。唖然とするナコに、アルはささやいた。
「なんであいつがここに…リングでオレ達の記憶消したんだよな?」
「…のはず」
アルはアキラに飛んでいき、耳元で囁いた。「おい。オレ誰か、わかる?」
「しゃべる珍カモメ。フライドポテト好き」アキラは答えた。
「あの子知ってる?」今度は羽でナコを指す。
「雄造先生の娘で、俺の頭の中いじくって記憶消そうとした奴」アキラは言った。
 アルはナコのところへ飛んで戻った。
「全然消えてないじゃん。あいつの記憶」
「ええっ?そんな、どうして」
アルはナコの耳に叫んだ。「ヘッタクソ~っ!」
大家のおばさんは「あなたは」と胡散臭そうにアキラを見た。
「彼女の父親の教え子です。先生が海外に出張中の間、代理で保護者として面倒見るように言われてまして」アキラは言った。
「あら、そうなの?」と大家さんはナコに聞いた。
「…は、はぁ」ナコは戸惑いながら答えた。
「でもね、やっぱり中学生の女の子一人暮らしなんて、何かあったら困るわ」
「おっしゃる通り。この泣き虫の子供だけじゃムリですな」
アキラはナコを見下ろし、言った。
「俺もここに一緒に住む。家賃も遅れず払う。これで一件落着でしょ」
ナコとアルは腰を抜かさんばかりに、口を開けた。
「先生の部屋も空いてるし…」
アキラはリビングに入り、窓ガラスに映った自分を見つめた。
正気か、俺。

夜の千葉みなと駅前のジャズバークリッパーにネオンが点り、「本日のライブ Jerry Fish」のプレートをマスターが扉にかけた。
開演前、鮮魚店の作業服のまま店に入ってきたデズは、きょとんとした。アキラの隣にナコが座っていた。傍らにはアキラのスーツケースがある。目を丸くしてデズはダブルベースを調弦する銀嶺に聞いた。
「…ねえギン。アキラ、なんでナコちゃん連れてんのさ」
 銀嶺は天にふうっと小さく息をつくと、言った。
「一緒に住むことにしたらしい」
「いっしょに?」デズは言葉を失った。
その背後で新一郎が手鏡でマスカラの具合を確認しながら言った。
「付き合う女の世話も何ひとつしない男が驚きだな。春の気の迷いか」
銀嶺は瞳を閉じて呟いた。「ひとは人生のなかでしばしば子猫の入った箱を、思いもかけず背負い込むときがある。それを春という」
「ギン、なにそれ。曲の歌詞?」デズが聞く。
「いま僕がつくった」
「頼むからポテト脳の地球人にもわかるように話してくれよぉ」デズは文句を垂れた。
「ホントまったくクレージーな展開でまいるよな」隣に座るアルも肩をすくめた。
「おいカモメ。何でおまえがうちらに混ざってんのさ」。
「ま、もうすぐ春だ。春くらい浮かれようぜ」新一郎がマイクを手に立ち上がった。
ライブのオープニング曲『It Might As Well Be Spring(春の如く)』が始まった。1945年、ロジャース&ハマースタインⅡ世の作によるスタンダードがサンバのリズムで賑やかに流れた。

I'm as helpless as a willow in a wind storm
僕は嵐の中の柳のように落ち着きがない
糸で操られた操り人形のようだ
春だから熱に浮かされているのかな
いや、まだ、春じゃないのに
別人になって知らない町を歩いてみたい
そこでこれまで会ったことないような女の子に出会うんだ
そして聞いたことのない言葉を聞くのさ
クモのように白昼夢と妄想をせっせと紡ぐ
憂鬱で気が重たいのに、妙に楽しい
まるで春が来たみたいだ 春はもう近いんだな

快活に鍵盤に向かうアキラをマスターは親指で指し、ナコに呟いた。
「カモメの次に番犬でも飼っちゃったと思えば、寂しくなくていいかもね」
ナコは吹きだす。ついでに涙もちょっと出てしまい、慌てて拭いた。

年も何もかもちがう、でこぼこふたりの同居生活は、こうして静かに船出した。
信じがたい波乱が待ち受けるとも知らずに。

        
つづく

It Might As Well Be Spring
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