短編@稲毛 vol.3
292
2024/7/2
地元のフリーペーパー『稲毛新聞』さまが掲載してくださるということで、稲毛を舞台にした小品を書かせていただきました。
応援される人
「じゃあな、コースケ。また明日な」
京成電車から一人だけ降りた男子生徒が、車内に残った同級生にそう声をかけられると、声の主に向かって軽く手を振った。電車のドアが閉まるよりも早く、ホームの端の改札に向かっていく。
改札の外はすぐ道路で、商店やコンビニ、カラオケスナックなどがぽつりぽつりと建っている。なんということもない生活道路のようであるものの、実は江戸時代から江戸と房総半島をつなぐ街道として利用されてきた歴史を持っている。しかし、残念ながら男子生徒は、そんな由緒は知らない。狭いわりに交通量の多い道路を進みながら、夏期講習の申し込みはいつから始まるんだっけ、などと考え事をしていた。
学校行事上の衣替えは来月だが、シャツはすでに半袖だ。衣替えまではどんなに暑くてもジャケットの着用を強いる校則の学校もあるようだが、男子生徒の通う高校は昨今の異常気象を重く見て、校則の運用を柔軟にしているので助かる。
浅間神社の入口に差し掛かったところで、ふいに肩を軽く叩かれた。
振り向くと、目の前ににゅっと拳が突き出されていたので、彼は思わずのけぞった。
白いブラウスの袖から視線を上げていったその先に、不機嫌そうな目をした女子生徒がいた。
「エリコか・・・・・・びっくりするだろ」
文句をつけようとするのを制するように、彼女はさらに拳を突きつける。
「ほれ。手、出せって」
「なんなんだよ」
男子生徒はいったん出しかけた手をびくっと引っ込めた。「トカゲとかイモムシとかそういうのは」
「やめて。そんなの私だって触るの嫌だし」
顔を顰めた女子生徒は、もう一方の手で男子生徒の手をつかみ、引き寄せた。握っていた方の手を開くと、男子生徒の掌にぽとりと小さな白い円筒形のものが落ちてくる。
男子生徒は掌と女子生徒の顔をかわるがわる見て、首を傾げた。
「・・・・・・なにこれ」
問い掛けに答える前に、女子生徒は神社の参道を指差した。境内に入ろうということらしい。
確かに、歩道のない道路上で立ち止まっているのは、通行の邪魔だろうと男子生徒も思った。すでに参道を登り始めている女子生徒の後に従った。
彼女も制服の上着を省略した夏の格好だったが、ブラウスは長袖を着ていた。きょうび、そういう生徒は珍しくない。日焼け対策だったり、エアコンによる冷えを防ぐためだったり、れっきとした理由があってのファッションである。
境内は公園ではないからベンチが置いてあったりするわけではない。二人は駐車場脇の石垣に腰をかけた。
「さっきの広げて」
女子生徒は男子生徒がグーにした右手をつんつんと突いた。
「え? 広がんのかこれ」
よく見れば、細長い紙をきつきつに巻いて円筒形にしたらしかった。端の部分を止めてあるドラフティングテープを剥がし、ゆっくり広げていくと、小学生のような筆跡の字が現れた。
「超・・・・・・大・・・・・・吉・・・・・・。超大吉?」
「そう、超大吉」
「ってなに?」
得意そうに頷かれても、理解できない男子生徒は聞き返すしかなかった。
「ものすごい大吉ってことだけど?」
男子生徒はしばし考え込んでから言った。
「ええと、つまりこれはお神籤か」
「そうだよ。ハンドメイドお神籤。ねぇ、その下に書いてあることもちゃんと読んでよ」
体裁はまったくの自己流だが、内容だけはお神籤に準じようとしているのだろう、細かい運勢が書いてある。
「どうでもいいけど、よくこんな小さい字を手書きで書けるな。妙な才能だな。どれ、『学業。来年、志望する大学に必ず受かります。失せ物。真面目に勉強しないと未来をなくします。争い事。ケンカはダメです。転居。ずっと稲毛にいましょう。でも千葉市内だったら引っ越しも許します。・・・・・・なぁ、エリコ。これって・・・・・・」
幼い頃からの友人として、応援してくれているのか。もしかして、遠回しなラブレターかも。ドキドキしながら男子生徒が顔を上げ、女子生徒と目を合わせた。女子生徒はつかの間ニコリとして見せ、スッと目を細めた。
「遠回しなラブレターとか思ってんだったらぶちのめす」
「お、思ってねえよ」
男子生徒は慌ててお神籤に視線を戻す。「あー、でも、ありがとな」
元気出る、そう言って軽く頭を下げると、女子生徒は「うん」とだけ答えてそっぽを向いた。
幼稚園、小学校、中学校、高校と、ずっと二人は一緒だったが、これから先の進路は違える。大学には進学しないで就職すると彼女から聞いた時、家の事情を察していたものの、男子生徒にとっては小さくない衝撃があった。親の経済状態で、子供の人生設計が決まってしまう現実を、自分だったら受け入れられるだろうか。「うちは父ちゃんがいないからさ」と笑ってみせる彼女の強張った横顔は忘れられない。
「それにしても」
男子生徒は空気を変えようとして、指に挟んだお神籤をひらひら振った。「なんでわざわざこんな紙に。それも、きっちり丸めてさ。そんな必要あるか」
「ええ? お神籤と言えばそれでしょ」
女子生徒は目を丸くした。「ルーレット式お神籤器に百円入れてレバーを引くと、そういうのが出てくるじゃない」
「・・・・・・?」
「うち、昔、食堂やってたからいくつもあったよ。テーブルの上に置いてあったじゃない。コースケも店に来たことあるんだから覚えてるでしょ」
「あ・・・・・・あれか」
記憶を探り当て、男子生徒はハアァと深い溜息をついた。「エリコはお神籤と言えばあれなのか」
「まあね。でも本物のお神籤も悪くないね」
女子生徒はくいっと顎を上げ、神社の拝殿が建っている高台を示した。「ちょっと引いてく?」
「なんでサラリーマンの一杯やってく、みたいな言い方なんだ」
女子生徒に続いて立ち上がりながら、「けれど、いいのだろうか」と訝しむ。本物のお神籤なんか引いたら、せっかくのハンドメイドお神籤が霞んでしまうのではないだろうか。
こいつのやることは意味不明だと思いながら、男子生徒はハンドメイドお神籤を大事そうにバッグにしまった。
京成電車から一人だけ降りた男子生徒が、車内に残った同級生にそう声をかけられると、声の主に向かって軽く手を振った。電車のドアが閉まるよりも早く、ホームの端の改札に向かっていく。
改札の外はすぐ道路で、商店やコンビニ、カラオケスナックなどがぽつりぽつりと建っている。なんということもない生活道路のようであるものの、実は江戸時代から江戸と房総半島をつなぐ街道として利用されてきた歴史を持っている。しかし、残念ながら男子生徒は、そんな由緒は知らない。狭いわりに交通量の多い道路を進みながら、夏期講習の申し込みはいつから始まるんだっけ、などと考え事をしていた。
学校行事上の衣替えは来月だが、シャツはすでに半袖だ。衣替えまではどんなに暑くてもジャケットの着用を強いる校則の学校もあるようだが、男子生徒の通う高校は昨今の異常気象を重く見て、校則の運用を柔軟にしているので助かる。
浅間神社の入口に差し掛かったところで、ふいに肩を軽く叩かれた。
振り向くと、目の前ににゅっと拳が突き出されていたので、彼は思わずのけぞった。
白いブラウスの袖から視線を上げていったその先に、不機嫌そうな目をした女子生徒がいた。
「エリコか・・・・・・びっくりするだろ」
文句をつけようとするのを制するように、彼女はさらに拳を突きつける。
「ほれ。手、出せって」
「なんなんだよ」
男子生徒はいったん出しかけた手をびくっと引っ込めた。「トカゲとかイモムシとかそういうのは」
「やめて。そんなの私だって触るの嫌だし」
顔を顰めた女子生徒は、もう一方の手で男子生徒の手をつかみ、引き寄せた。握っていた方の手を開くと、男子生徒の掌にぽとりと小さな白い円筒形のものが落ちてくる。
男子生徒は掌と女子生徒の顔をかわるがわる見て、首を傾げた。
「・・・・・・なにこれ」
問い掛けに答える前に、女子生徒は神社の参道を指差した。境内に入ろうということらしい。
確かに、歩道のない道路上で立ち止まっているのは、通行の邪魔だろうと男子生徒も思った。すでに参道を登り始めている女子生徒の後に従った。
彼女も制服の上着を省略した夏の格好だったが、ブラウスは長袖を着ていた。きょうび、そういう生徒は珍しくない。日焼け対策だったり、エアコンによる冷えを防ぐためだったり、れっきとした理由があってのファッションである。
境内は公園ではないからベンチが置いてあったりするわけではない。二人は駐車場脇の石垣に腰をかけた。
「さっきの広げて」
女子生徒は男子生徒がグーにした右手をつんつんと突いた。
「え? 広がんのかこれ」
よく見れば、細長い紙をきつきつに巻いて円筒形にしたらしかった。端の部分を止めてあるドラフティングテープを剥がし、ゆっくり広げていくと、小学生のような筆跡の字が現れた。
「超・・・・・・大・・・・・・吉・・・・・・。超大吉?」
「そう、超大吉」
「ってなに?」
得意そうに頷かれても、理解できない男子生徒は聞き返すしかなかった。
「ものすごい大吉ってことだけど?」
男子生徒はしばし考え込んでから言った。
「ええと、つまりこれはお神籤か」
「そうだよ。ハンドメイドお神籤。ねぇ、その下に書いてあることもちゃんと読んでよ」
体裁はまったくの自己流だが、内容だけはお神籤に準じようとしているのだろう、細かい運勢が書いてある。
「どうでもいいけど、よくこんな小さい字を手書きで書けるな。妙な才能だな。どれ、『学業。来年、志望する大学に必ず受かります。失せ物。真面目に勉強しないと未来をなくします。争い事。ケンカはダメです。転居。ずっと稲毛にいましょう。でも千葉市内だったら引っ越しも許します。・・・・・・なぁ、エリコ。これって・・・・・・」
幼い頃からの友人として、応援してくれているのか。もしかして、遠回しなラブレターかも。ドキドキしながら男子生徒が顔を上げ、女子生徒と目を合わせた。女子生徒はつかの間ニコリとして見せ、スッと目を細めた。
「遠回しなラブレターとか思ってんだったらぶちのめす」
「お、思ってねえよ」
男子生徒は慌ててお神籤に視線を戻す。「あー、でも、ありがとな」
元気出る、そう言って軽く頭を下げると、女子生徒は「うん」とだけ答えてそっぽを向いた。
幼稚園、小学校、中学校、高校と、ずっと二人は一緒だったが、これから先の進路は違える。大学には進学しないで就職すると彼女から聞いた時、家の事情を察していたものの、男子生徒にとっては小さくない衝撃があった。親の経済状態で、子供の人生設計が決まってしまう現実を、自分だったら受け入れられるだろうか。「うちは父ちゃんがいないからさ」と笑ってみせる彼女の強張った横顔は忘れられない。
「それにしても」
男子生徒は空気を変えようとして、指に挟んだお神籤をひらひら振った。「なんでわざわざこんな紙に。それも、きっちり丸めてさ。そんな必要あるか」
「ええ? お神籤と言えばそれでしょ」
女子生徒は目を丸くした。「ルーレット式お神籤器に百円入れてレバーを引くと、そういうのが出てくるじゃない」
「・・・・・・?」
「うち、昔、食堂やってたからいくつもあったよ。テーブルの上に置いてあったじゃない。コースケも店に来たことあるんだから覚えてるでしょ」
「あ・・・・・・あれか」
記憶を探り当て、男子生徒はハアァと深い溜息をついた。「エリコはお神籤と言えばあれなのか」
「まあね。でも本物のお神籤も悪くないね」
女子生徒はくいっと顎を上げ、神社の拝殿が建っている高台を示した。「ちょっと引いてく?」
「なんでサラリーマンの一杯やってく、みたいな言い方なんだ」
女子生徒に続いて立ち上がりながら、「けれど、いいのだろうか」と訝しむ。本物のお神籤なんか引いたら、せっかくのハンドメイドお神籤が霞んでしまうのではないだろうか。
こいつのやることは意味不明だと思いながら、男子生徒はハンドメイドお神籤を大事そうにバッグにしまった。
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