大盛況!『思い出のこじま丸 ~千葉市海洋公民館こじまの航跡~』地域活性化シンポジウム顛末~第1部編~
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2019/11/2
以下は 5 年前に書かれた内容です
10月26日(土)にちば文化センターが主催した、地域活性化シンポジウム『思い出のこじま丸 ~千葉市海洋公民館こじまの航跡~』の様子をリポートします。
「こじま」に対する「へぇ~」が連発! 超絶裏話が聞けたトークセッション
午前中の第1部では、「こじま」の前身である海防艦「志賀」の竣工時から、戦時中、終戦直後、海上保安庁時代、海洋公民時代と、「こじま」が辿ってきた歴史を、パネリストである千葉工業大学の八馬先生と、文化遺産こじまを保存する会の彦坂氏のお話により辿っていきました。
八馬先生からは、埋立地が形成されていく上での歴史的・文化的背景を説明頂き、千葉の埋立地の成り立ちに対する理解を深めることが出来ました。アンケートには、「八馬先生の埋立てについてのお話をもっと聞きたかった」との意見もあり、今後もちば文企画の埋立地に関するイベント等で続きをお話しいただきたいと思います。
彦坂氏からは、「こじま」の船史全般にわたって、様々なエピソードを説明していただき、参加者全員が「こじま」に対する理解を深められたものと思われます。アンケートには、「海防艦時代のことについては、ある程度知っていたが、戦後の連絡船や海上保安庁時代の話はよく知らなかったのでためになった」という意見がありました。
八馬先生からは、埋立地が形成されていく上での歴史的・文化的背景を説明頂き、千葉の埋立地の成り立ちに対する理解を深めることが出来ました。アンケートには、「八馬先生の埋立てについてのお話をもっと聞きたかった」との意見もあり、今後もちば文企画の埋立地に関するイベント等で続きをお話しいただきたいと思います。
彦坂氏からは、「こじま」の船史全般にわたって、様々なエピソードを説明していただき、参加者全員が「こじま」に対する理解を深められたものと思われます。アンケートには、「海防艦時代のことについては、ある程度知っていたが、戦後の連絡船や海上保安庁時代の話はよく知らなかったのでためになった」という意見がありました。
なんとびっくり!会場にいた最強の「こじま」王
当日の会場は、大変ありがたいことに、多少の立ち見が出てしまうほどの大盛況!解体から20年以上を経ても、「こじま」への想いを持たれている方の多さに驚かされました。そんな中、「こじま」についての驚きの知識をお持ちの方が、会場におられました。
その方は、「こじま」にひょんなことから興味を持ち、当時ご存命であった「こじま」(海防艦志賀時代)の元乗組員の方や、海洋公民館設立に深く関わった当時の千葉市教育委員会の担当者、設置工事に関わった元海軍の方等から聞き取り調査を行ったとのことで、ただでさえ数少ない「こじま」に関する文献にも書かれていない、数々の裏話をご披露していただきました。
詳しくは、今後その方が今後記されるであろう「こじま」に関する本を楽しみにするとして、一つだけエピソードをご紹介すると、「こじま」の船体が少し船首側が持ち上がった状態で設置されていたのは、コンクリートの台座に船体の据え付けを行った元海軍の技術者が、「船は舳先が少し上がっていた方がカッコいいから!」という理由で傾けて設置したのだそうな…。
他にも、公開されていない数々のエピソードをご披露頂き、参加者からは「へぇ~」という感嘆の声がそこかしこから上がっていました。
その方は、「こじま」にひょんなことから興味を持ち、当時ご存命であった「こじま」(海防艦志賀時代)の元乗組員の方や、海洋公民館設立に深く関わった当時の千葉市教育委員会の担当者、設置工事に関わった元海軍の方等から聞き取り調査を行ったとのことで、ただでさえ数少ない「こじま」に関する文献にも書かれていない、数々の裏話をご披露していただきました。
詳しくは、今後その方が今後記されるであろう「こじま」に関する本を楽しみにするとして、一つだけエピソードをご紹介すると、「こじま」の船体が少し船首側が持ち上がった状態で設置されていたのは、コンクリートの台座に船体の据え付けを行った元海軍の技術者が、「船は舳先が少し上がっていた方がカッコいいから!」という理由で傾けて設置したのだそうな…。
他にも、公開されていない数々のエピソードをご披露頂き、参加者からは「へぇ~」という感嘆の声がそこかしこから上がっていました。
最新技術のARにより、1/200スケールで「こじま公園」の在りし日の姿を再現!
今回のシンポジウムの目玉の一つである、最新技術AR(拡張現実)を駆使した「こじま」の再現ですが、秀明大学の原田研究室の皆様のご協力の元、実施することが出来ました。
画像では、左にある「こじま」の船体が設置されていない状況(まだ未完成)の「こじま公園」のジオラマ模型があり、それをカメラで撮影しているノートパソコン(右側)には、何とあるはずのない「こじま」の船体が映し出されています。
このリアルな「こじま」の3Dデータは、現職の模型メーカーの開発担当者であるマイロン氏が制作したものなので、完成度が半端ではありません。
画像では、左にある「こじま」の船体が設置されていない状況(まだ未完成)の「こじま公園」のジオラマ模型があり、それをカメラで撮影しているノートパソコン(右側)には、何とあるはずのない「こじま」の船体が映し出されています。
このリアルな「こじま」の3Dデータは、現職の模型メーカーの開発担当者であるマイロン氏が制作したものなので、完成度が半端ではありません。
ノートパソコンの画面には、このように公園のジオラマの風景と「こじま」の3D画像をリアルタイムに合成した映像が映し出されているのです。第一部では、ジオラマ上での小さな展開でしたが、第二部では外のプールに「こじま」の巨大な3D画像を合成し、しかもその上を移動できるという楽しいAR体験を実施していただきました。
1/200スケールで並べて見る。「こじま」に関する船や飛行機たち
会場後方には、スケールを1/200に統一した模型を展示しました。
艦船では、「こじま」(海洋公民館時代)、海防艦「鵜来」(志賀の属する鵜来型一番艦)、海防艦「占守」(日本海軍の近代的海防艦の元となった占守型一番艦)、「二等輸送艦」(志賀と同時期の戦時急造輸送艦)、潜水艦「ガトー」(海防艦の宿敵ガトー級潜水艦一番艦)を並べてみました。
このように、関係のある艦船を、同じスケールで並べて比較しながら眺めると、差異や似た部分が良くわかり興味が増すのではないかと思います。
艦船では、「こじま」(海洋公民館時代)、海防艦「鵜来」(志賀の属する鵜来型一番艦)、海防艦「占守」(日本海軍の近代的海防艦の元となった占守型一番艦)、「二等輸送艦」(志賀と同時期の戦時急造輸送艦)、潜水艦「ガトー」(海防艦の宿敵ガトー級潜水艦一番艦)を並べてみました。
このように、関係のある艦船を、同じスケールで並べて比較しながら眺めると、差異や似た部分が良くわかり興味が増すのではないかと思います。
1/200展示は船だけではありません。同スケールで日本の海防艦と死闘を繰り広げた連合国側の飛行機の模型や、日本海軍の二式飛行艇の模型も展示しました。海防艦と並べると、こんなに小さな戦闘機が束になって海防艦に襲い掛かり、熊を狩る猟犬のように「こじま」の僚艦を沈めていったことが不思議に思えてきます。
しかし、爆撃機は飛行機とは思えないくらいに巨大で、この大きな機体に爆弾や機雷を満載して、海防艦だけではなく、日本の国土自体を焼き払ったのだと思うと、アメリカの強大な生産力に感嘆すると共に、複雑な想いにかられます。
しかし、爆撃機は飛行機とは思えないくらいに巨大で、この大きな機体に爆弾や機雷を満載して、海防艦だけではなく、日本の国土自体を焼き払ったのだと思うと、アメリカの強大な生産力に感嘆すると共に、複雑な想いにかられます。
と、いうわけで、トークセッションを中心とした第一部の様子でした。次の記事では、ラジコン模型の走航デモを中心とした第二部の様子をお伝えいたします。
以上は 5 年前に書かれた内容です
このまとめ記事の作者
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