♯第9話 ワルツ・フォー・アキラ Waltz For Debby

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  2022/8/18
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「ママね。10歳のキミが鍵盤を楽しそうに弾く姿を、生きてる間の宝物にしてきたの」

前回までのストーリー
千葉港に面する街、千葉みなと。真仲央(アキラ・23歳)は、失踪した量子学者の千神雄造の行方を探す娘の七子(ナコ・14歳)に出会い、ナコの保護者としてナコの家でともに暮らし始める。ナコは父から渡された、想念を具現化する力を持つ赤いリングを使い、謎の脅威♯と戦う。アキラは元恩師の雄造の部屋から、自分宛てのメッセージを発見し驚愕する。
「央くん。これを見ているということは、ここにいてくれているということだね」
 ベッドの木枠に隠された、自分宛ての手紙。アキラは読み、唖然とした。見覚えのある雄造の、走り書きの文字が躍る。
「ありがとう。ナコのそばにいてくれて。奴から接触がまだなければいいが。きみにまともに連絡できないので、このアドレスに空メールを」。アドレスの文字列のあと、文は終わっていた。
 アキラは混乱する。ナコと出会ったのは昨年冬近くのclipperだ。失踪した父の手掛かりを求めて、自分に会いに来た。天涯孤独のナコを見かねて独りにしておけない、と決断しここに越してきたのは今年の春ごろ。なのに、まだナコと出会ってもいない昨年秋ごろに失踪した雄造が、自分宛ての手紙を自室に置いていた。まるでここに自分が住むと見通していたように。それに「奴」とは誰だ。ナコの周辺に出没するあの化物のことか。
 キツネにつままれたような、気味の悪い、これまでのことが仕組まれたような感覚。ナコに言うか。いや、不可解過ぎてかえって動揺するだろう。アキラは紙片を再び木枠に押し込めた。

「アイス溶けてるぜ」
 顔を上げると、オレンジ色の口ばしの上に乗っかった小さな目が、アキラを見ていた。
 明るい陽ざし、休日のハーバーの桟橋エリアに停まるキッチンカー、silver spoon。ナコとアルは店主のギン特製のジェラートをつついている。浴衣姿の娘たちが通る。今夜は幕張の浜で花火大会があり人出も多い。ナコは同級生の龍成に花火見物を誘われたとかで、小さなお気に入りのポシェットを肩にかけている。溶けたアイスを匙でかき混ぜながら、アキラは電話を受けた。
「通夜?…行かない」電話を切ると海を見た。
 その表情にギンが聞く。「だれか…?」
「母親。今朝だって」アキラはたんたんと言う。えっとアキラに視線が集まる。
「お母さんが」
「ちょい前に相当悪いって、母親の実家から連絡来てたんだよな。でも向こうがなんも言わず家、出てってから、十年以上会っていないし今さらな。勝手な女で、すでに他人だからね」
「千神!」爽やかな声が響く。龍成がヨット係留所辺りで、笑顔で手を振っている。
「プリンスがデートのお出迎えだぜ。行っといで」アルはナコに言う。
「…行ってきます」ナコはアキラを心配そうに見て、席を立つ。そして龍成のそばに行き、歩き出す。
「ピアノの練習でも行くか」アキラもけだるそうに席を立った。

 夜になり、アキラはひとりハーバーのベンチに座っていた。
 ピアノのある女の部屋に行き鍵盤には一度も触れずに女と過ごしたが、気が晴れず出てきた。ここに来るまでにどれくらい酒を飲んだかは覚えてない。頭と胃がひどく重い。
 通り雨が大粒の雨音を立ててやってくる。動けない。しばらくしてやんだ。びしょ濡れで突っ伏して座る自分を人々が一瞥して通り過ぎる。濡れた服が貼りついて、夜風で一気に身体が冷えた。
 ピアノの低音のような花火の音が響く。鍵盤に初めて触れたのは子供のころ、母のピアノだった。母はいつもある曲を弾いていた。天国の音があるとすればこんな音かと母の隣に座りうっとり聴いた。そしてメロディーを真似して叩いた。それがビル・エバンスの『ワルツ・フォー・デビー』という曲と知ったのは、母が10歳のときふいに家を出ていってかなりしばらく経ってジャズを聴き出してからのことだ。当時は捨てられたと思い、その後母からの連絡はすべて拒否した。
 打ち上げ花火の華やかな音が響く。今ごろナコはあの下であいつと見ているのか。ぼんやりと、幕張方面の雲に映る七色の光を見た。
 と、ふんわりと左方の隣に、誰か座る気配を感じ、顔を向ける。
 ナコだった。心配そうにこちらのずぶ濡れの髪や服を見ている。ひとりだ。どうしてここに、と目で言うと、ナコは恥ずかしそうに言った。
「こわくなっちゃって」
「なにが」
「手」
「手?」
 ナコは頷く。打ち上げを待つ観客席の芝生で、龍成はナコに言った。「手をつないでいい?」と。そして伸ばされた手を見て、びっくりしてそのまま逃げ帰ってしまったと。
「そんなことで。まじかよ」
 以前アルが「男の手は父親のしか握ったことない」と言っていたのを思い出しながら、あきれる。ナコは「だって」と恥ずかしそうにうつむく。
 ベンチに置かれたナコの小さな右手を、左手で覆うようにグッと握りしめた。ナコは飛び上がるように驚いて、こっちを見る。でも放すのを許さず、手をさらに強く握る。
「練習だよ。次あいつとデートするときの。がまんしろ」と半ば強引に言う。
「…わかった」
 ナコは一瞬震えると覚悟を決めたように、ぎゅっと目を閉じた。
「どう。男の手。こわい?」
「…ううん。なんだか、あったかくなってきた」
「あったかく?」
「うん。おなかのへんとか。からだじゅう」
 ナコは頬を赤くして目をつぶったまま、肩で息をついて手を握り返してきた。
「な。そう悪いもんじゃないだろ。次は大丈夫だな」うつむいたまま温かいナコの手を握り続ける。
「…お母さんのこと」ナコは言う。
「いっちまった。あれから一度も会わずに…ちょっと聞きたいことは、あったんだけどさぁっ」
 かすれた声でおどけるように暗い海に言う。
 ナコは夜空を見る。
「会えるかも。今夜なら」
 手をつないだままナコはポシェットを開けて赤いリングを出し、はめる。そして「モノレールに乗ろう」と立ち、手を引っ張った。指の石が赤く光っている。

 ナコに引っぱられアキラはよろけながら千葉みなと駅に着き、ホームへの階段を昇った。「臨時」と書かれた車両が滑り込んできた。ホームの客は見えないように、誰も乗らない。
 乗り込みナコと座った途端、異様さに気づいた。灯りはほとんどない。薄茶の車内に何人か客が座っている。そのからだは半透明でぼやけている。「臨時」車両はゆっくりと動き出した。
 ナコは言う。以前アルから聞いたことがあると。肉体から魂が抜けると、この世から冥界へ行く、車両に乗る。だから今ならここでお母さんに会えるかも、と。アキラは首を振った。
「いや、やだよう、こんなとこ。会いたいなんて言ってないよ」
 立とうとすると、ナコはつないだ手を引き戻す。「静かに。もう乗っちゃったから。アキラさん大人なんだから、辛抱して座って。ね」ダダをこねてすねる子供に言い聞かすように手を握った。
 車両は市役所前駅に着いた。降りようと腰を浮かし、ふたたび後ずさりして座った。
 母が乗り込んできたのだ。若いころの姿、お気に入りだったノースリーブワンピースで。母は、あらアキラくん、と笑顔を向けた。
「ここを離れるまえに会えるなんてうれしい」
 アキラはただ身体を固くして、顔をそらす。何も言葉が見つからない。
「かっこよくなったね。13年たったんだもんね」そして、何も言わず置いて出てごめんなさいと詫びた。無言の息子に「ママ勝手で、許せないよね」と小さく言う。
 車内アナウンスが終点を告げた。
「もう着いた、早いな。降りないと」と母は寂しそうに言う。ナコが促すようにこっちを見る。
「…ひとつだけ、聞きたいことが」
 母に、絞り出すように声を発した。心の奥底にずっと沈んでいた問い。出ていく直前の夜、授業参観に来ると約束をしたのに来なかった母に浴びせた言葉、「ママ大きらい」。
「あの、おれの言葉が出ていくひきがねになったの…?」
 かぼそい子供のような声で問う。
 母は驚き、首を振った。家を出たのはアキラの父親とのことが原因で、アキラのせいでないと。そして意外なことを口にした。実は参観はどうにか電車に間に合って、最後だけ見られたのだと。教室に着いたら人垣の向こう、アキラがピアノを弾いているのが見えた。
 まるでやんちゃ坊主の天使が鍵盤と戯れているように。
「ママね。10歳のキミが鍵盤を楽しそうに弾く姿を、生きてる間の宝物にしてきたの。ずっとこれまで支えにして過ごしてきた」
 車両は止まり、ドアが開く。母はアキラに微笑む。
「じゃあねアキラくん」ナコには「アキラくんをよろしく」と言うと軽やかに降り、他の乗客とともに消えた。アキラはナコの手を握ったまま、目を閉じ、そこから一筋の涙が流れる。

 ―入れ替わりに。
 開いたドアから黒い影がタールのように流れ込んで一面に広がった。目を閉じるアキラと手をつないだまま、ナコは鎧ナコに変身した。髪が長く伸び、空に殺気が立つ。
 と、影の中央から銀色の髪の仮面の男が現れ、乗ってきた。
「おまえは」最大の警戒をこめて、鎧ナコは問う。
「使いの者。エージェント」風の音とともに低い声が響く。
「このときを、待っていた」
 そして革手袋の手を差し出した。手の甲に♯の字がのぞく。
 鎧ナコは見据えて言った。
「出ていけ。せっかくのデート、邪魔すんなよ」
 男は優雅に身をひるがえし、影たちを従えながら消えていった。
 車内は再び二人きりになり、千葉みなと駅に向けて動き出す。鎧ナコの肩に、安堵したように眠るアキラの頭がもたれかかった。鎧ナコはそっと支える。
 二人だけの車内に、打ち上げ花火の極彩色が彩った。

 翌日夜のみなとハウス。シチューの鍋をかき回していたナコは、ドアの音にハッとする。
 戸口では母親の葬儀から帰ってきたアキラが、黒ネクタイを外していた。
「おかえりなさいっ」気遣うように飛んできたナコの頭を、アキラはぐしゃっと撫でた。
「腹減った!今ならまずいカモメの焼き鳥でも食えっぜ」
「なんだぁ?まずいかどうか食ってみろよおい」アルが眉間にしわを寄せる。
 手の下のナコが、みるみる笑顔に変わった。
 部屋に戻ったアキラは、ベッドの木枠から雄造の手紙を出す。そして意を決し、スマートフォンに記してあるアドレスを打ち、空メールを送信した。

 お盆送りの夜、人が行きかう千葉みなと。駅前のジャズ・バー、clipperでは陽気なワルツの旋律が流れる。JerryFishが「ワルツ・フォー・デビー」を演奏していた。
「やがて成長して去ってしまうだろう幼い子を、愛おしく見守る曲なんだ」ナコにマスターが語る。
 ジャズピアニスト、若き日のビル・エバンスが幼い最愛の姪っ子デビーへ想いをこめて作った曲。にぎやかに鍵盤に向かうアキラを、ナコは優しく見る。
 そんなナコを店の外、通りに面した大きなガラス窓越しに見る姿があった。銀髪、スーツ姿、口元に満足そうに浮かべた笑み。手の甲には、♯の文字。

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