♯第1話 サニーが憂鬱 When Sunny Gets Blue

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  2021/11/19
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以下は 2 年前に書かれた内容です

「父を知りませんか。父の手帳に、あなたの名前があったんです」
訪ねてきた少女の瞳の色は、抗えない運命に諦観したリアル・ブルーだった。
この瞬間、運命のパンドラの箱が開いたことに、オレはまだ気付いていなかった。

 透明の傘を閉じると、雨粒がピュンと波の軌道を描いて地面に落ちた。
 目の前に現れたオーク色の厚い扉。その真鍮色の冷たいハンドルに手をかける。
 この扉を開けていいのか。
 もし今日も失敗だったら……?
 セーラー服の少女は手をかけたまま、戸惑う。
『もう、帰ろうよ』
 どこかから声がする。
 晩秋の夜の薄暗いグレーの空のもと、しとしと、小雨が街灯に踊っていた。ここ、JR京葉線と千葉都市モノレールが乗り入れる千葉みなと駅の海側の駅前通りには、ジャズバー「clipper(クリッパー)」のネオンサインが点っていた。扉横の木造りの譜面台には「本日の演奏 JerryFish」と案内板が置いてある。
『早くうち帰って、ポテトくおーぜ、ナコ』
 また、右肩のトートバッグから、拗ねたような声が聞こえた。
「ダメ。今日こそ、お父さんを見つけるの」
 結んだおさげの首を振り、ナコは唇をとがらした。
 勇気を振り絞り、音をきしませオーク色の重い扉を少しずつ開いていく。と、ほのかに甘い酒の香りとともに音楽が高まった。セピア色に薄暗い店内はまるで古い船の船室のようだ。ピアノ、ダブルベース、ドラムスのピアノトリオのブルージーな演奏が耳に飛び込んだ。
 ゴゴッ、とナコの背後の厚い扉は閉じられた。
 猟場に入ってしまったウサギのように、ナコはそっと身をかがめて、カウンターに進んだ。
 奥にベレー帽の小柄な人影が見えた。白髪の混じる髪、鼻に小さな丸眼鏡が乗っている。ここの主人、マスターだろうか。
「あの…ここ、中学生でも、入っていいですか?」
 おそるおそる言う。ジャズバーみたいな大人の店は中学生にとっては、山のように敷居の高い世界だ。周囲から槍のような視線を感じる。しきたりとかわからないことだらけだ。
 店主らしき男は眼鏡の奥でちらっとナコを見て、口の端っこを上げた。
「音楽がお好きならどなたでも。お嬢さん」
 そして、今日はチャージ無料の日だから入場は無料、気に入ったら投げ銭を。そしてここはキャッシュオンデリバリー方式、つまりマックとかスタバみたいに先にドリンクを買って好きな席につけばいいと説明した。ソフトドリンクは500円。ナコはホッとしながらピンクの財布からコインを出した。これがいまの全財産なのだ。
「ジュースは何にしますか。オレンジ、アップル、マンゴー…」店主の問いに、
『マンゴー』 ナコのバックから小さな声がとんだ。
「そうだ、あの」ナコは慌ててマスターに言った。
「マナカ、オウさんは、いらっしゃいますか」
「オウ?」丸眼鏡をかけ直すとマスターはまた口の端を上げた。
「あぁ、アキラくんね。ピアノの彼。もうすぐ休憩だよ」
 指さされた先に、段差のないステージ上のピアノに座る若者が見えた。
白シャツを三つほどボタンをはずし、鍵盤に指を這わしている。ナコはトートバッグから古く茶ばんだ分厚い革手帳を取り出し、開いた。そこには『真仲 央』とペンの走り書きがあった。
目の前に橙のマンゴージュースのグラスが置かれた。ナコはそっと受け取り、片隅の椅子に座る。と、バッグがモゾモゾ動いて、白い頭とくちばし、そしていたずらっぽい目の一羽の鳥、カモメが顔を出した。
「アル、しっ、出ちゃだめってば!」
 カモメのアルは手慣れたふうにストローをくわえるとジュースをすすった。
「だってぇ。ナコったらお店入るまで一時間もウロウロしてさ。喉乾いちゃったよ」
「仕方ないでしょ。こういうとこ入ったことないから」
「おっ。お目当ての人、手が空きそうだぜ」
 ステージでは曲が終わり、拍手が響いた。ピアノを弾いていた若い男が立ち上がり、マイクを持った。
「千葉みなとに停泊するジャズの帆船クリッパーへ、ようこそ。ベース山下銀嶺(ぎんれい)、ドラムスはデズこと寒川達夫、そしてピアノは俺、真仲央(アキラ)。ボーカルの新一郎は残業中につき今日はトリオのJerryFish(ジェリーフィッシュ)でお送りしました。二部まで少々インターミッションをいただきます」
 そう言いアキラは、BGMのスイッチを入れた。


 カウンターでビールのグラスを受け取ったアキラは、いく人かの女の目配せや耳元に近寄りささやく声を聞きながら、銀嶺とデズの待つテーブルに向かった。
「で、どっちにする?決まった?」デズは皿のイカリングをつまんで、聞いた。
「そうね」アキラは座った。「ワンピースのほう」
「えっ」
「だって、何回もお誘いを断るのはさすがに失礼でしょ」
「今夜泊まりに行く女の話じゃないよ! フライにかけるのはタルタルかケチャップかって聞いてんだよ!」
 ぶちゅっと、デズは苛立ちながらケチャップをフライドポテトにかけた。
「そういや、彼女に告白の結果どうなったの? デズ」アキラが聞くと、
「なんのこと」デズはすましてポテトを次々と口に詰め込んだ。
「聞いてくれるなってことだ」隣の銀嶺が無表情でぽそっと言った。
「また撃沈?じゃ、第二部は恒例のBut Not For Meでスタートね」
 そのとき、小さな影がアキラの後に立った。
「すみません、真仲、アキラさんでしょうか」
 かぼそい声に振り向くと、店には不似合いなセーラー服姿の小柄な少女がそこにいた。
 アキラの顔から笑みが消えた。
 その瞳を見入る。店内の賑やかなざわめきがさっと消え去り、店の古時計の短針と長針の針がかちり、と重なり合う音が響いた。
「わたし、千神七子(チガミ・ナコ)と言います」
 蚊の鳴くような声で、でも勇気を振り絞った風にナコは言った。「真仲さんに伺いたいこと、ありまして」
 アキラは空に向かって呟いた。
「When Sunny Gets Blue…サニーが落ち込むと、その瞳が灰色に曇って、ぴちゃぴちゃ雨が降り始める」
 そして戸惑い、不安げな瞳のナコに微笑んだ。
「さっきの曲はさ。スタンダードナンバーの『サニーが憂鬱』っていうんだ。いつも元気な女の子が恋に破れて、憂鬱になっている歌」
 ガラス張りの窓から雨ににじむ街灯が見えた。
「でも聞きたいことはそういうことじゃないよな。で? ナコさん」
 ナコは一枚の写真をさし出した。そこには眼鏡で微笑む中年の男性が写っていた。
「この人を捜しています」
 アキラは写真を見て、ナコを見る。
「ん、誰ですか?」
「父です。千神雄造。先月から行方不明で」
 アキラはふたたび、眼鏡と髭の男性の写真を見た。
「あ、先生、これ雄造先生だ。大学の研究室の…じゃ、雄造先生のお嬢さん?」
 ナコは頷くと、バッグから古く茶ばんだ分厚い手帳を取り出した。
「父の手帳に、あなたの名前がメモしてあったんです。何か、行く先とか心当りないかと思いまして。父を、知りませんか?」
 ナコは思いつめた目でアキラを見上げた。
 ぴょこんと、バッグからカモメのアルが顔を出し、デズの前の皿にあるポテトをくわえると、またバッグに引っ込んだ。
「ちょ、オレのポテト!オーマイガッ」デズは素っ頓狂な声を上げた。
「デズ。騒々しい」隣の銀嶺が片耳に入れた白いイヤホンをさし直す。
「い、いまさ…あの子のバッグからカモメが出てきて俺のポテト盗んでくわえて、また隠れたんだよ!」
「なかなかシュールな幻覚だ」
「なんだよ、ギン、オレのこと信じねぇのか」
「脳みそがポテトでできてるからね」銀嶺は無表情に答えた。
 アキラはナコに少し身をかがめ、言った。
「懐かしいな、雄造先生…お父さんには学生のときにずいぶんと世話になった。最後に会ったのは卒業した昨年の春で、就職してからは会っていないし連絡もしていない。だから行く先も見当つかないんだ」
「…」
「力になれなくてごめん。家はこの近く?」
「ハーバー通り裏の、みなとハウスです」
「家族は。お母さんと?」
「母は亡くなって…いまは誰も」
 やっとのことそれだけ言って、ナコはそのまま立ち尽くした。


 晩秋の冷たい雨がしと降る千葉港への道を、ナコはひとり、歩いていた。行きよりも足が重たく、倍以上に思えた。
 夜の波止場は通る者もなく、波間には灯がにじんでいた。近くを走る懸垂型の千葉都市モノレールの音だけがゴゴォ、と唸るように響いてくる。
 千葉港は横浜、名古屋とならぶ日本三大貿易港だが、このハーバーから見えるのは横浜のような瀟洒な佇まいとは異なる、京葉工業地帯のゴツゴツとした硬質な風景だ。右に幕張新都心、その向こうに東京湾岸のビル群のあかりが弧を描いて並ぶ。アクアラインの灯が遠く、製鉄所のあげる白煙、コークス工場の吐き出す炎が天に揺らめき、巨大な小麦貯蔵サイロや石油コンビナートが赤銅色のライトに浮かび上がった。
 ナコは桟橋に佇み、父を思う。

 父・雄造が姿を消した夜。いつも穏やかな雄造は、動揺を抑えながらナコに言った。
「しばらく帰れない。必ず帰るから、待っていて」
 そして厚い革の手帳をナコに渡した。
「これはナコを守るものだ。本当に大切な時に使いなさい。誰にも渡さないで」と。そして去り、そのまま戻らず姿を消した。
 父と二人暮らしだったナコは取り残され途方に暮れた。思いつくところを捜した。大学には辞表が出ていた。あるとき父の手帳に「真仲央」と名前の走り書きメモがあるのを見つけた。
この人が何か知っているかも。今度は彼を捜した。千葉みなと駅前のジャズバーに貼られたライブのポスターにその名前を発見し、会いに行った。が、最後の望みだったアキラからは父の行方の手掛かりは得られなかった。
 アキラは何か思い出すかも、と連絡先を聞いてきた。そして仲間の二人も心配し、優しくしてくれた。陽気な彼らの笑顔は、沈んだ心に心強くうれしかった。が、彼らのステージが始まり、陽気なナンバーが流れるといたたまれなくなってナコは店を飛び出した。

 突如。波止場の灯りがすべて消えた。
 紫の霧があたりに立ち込める。
 海風が冷たく、ナコの髪や頬を撫でていく。汗が冷たく背中を流れた。
「…来たようね」
 鞄から険しい表情でアルが顔を出した。
「やつらだ。ナコ、リングを」
 ナコは茶革の手帳を取り出した。開けると、くぼみの空洞に置かれた赤い石の指輪が光って現れた。
海からタールのような黒い影が上がってきた。そして黒い人型のようになり、ナコを取り囲んだ。
ナコは赤石のリングをはめると、目を閉じる。制服が、みるみると銀色に光る鋼鉄に変わり、「鎧」に覆われていった。
 影たちが触手を伸ばし、ナコの身体にからまり、巻き付いた。冷たく濡れたアスファルトに引きずり倒される、その瞬間。
 鈍く銀色に光る鎧姿に変わったナコは、身体に絡みついた影を断ち切り、根こそぎ切り裂いた。影は切り裂かれても再び合体し、総勢をなしてナコたちに襲い掛かる。
「ナコーッ、助けて」アルの身体にスライムのような影がまとわりついていた。
 ナコは手を波止場の夜空に突きあげた。指の赤石が光った。
「イカロース…!」
 地響きとともに、地震が起きた。その瞬間、陸側の向こうで走っていたモノレール車両がレールを離れて迫ってきた。そのまま火の鳥のような姿に変わる。そして舞い降りると、雄叫びをあげて影たちに炎を吐き出した。断末魔の声をあげて、影たちはちりぢりに海へと逃げ去っていった。
 その逃げていく先の暗い海に、突如波が立った。
 波間が真っ二つに割れた。そしてマストが現れ、黒い難破船のような船が浮かび上がってきた。影たちは船へと逃げ帰っていく。
 その舳先に誰かがいた。黒衣の男が、ナコを見下ろし立っていた。
「どうして?」
 長い銀髪がフードからなびく顔の見えない男をナコは見上げ、叫んだ。
「だれなの?どうして、いつも、私を、襲うの?」
 男は無言でしばらくナコを見下ろしたのち、すっと長いマントを翻した。
 幽霊船のような帆船は、再びするすると海へ沈んでいき、波間に消えた。
 火の鳥となったモノレールは車両の姿に戻ると、レールの方向へ走り去っていく。ナコのびしょ濡れの肩に、夜空を旋回したアルが戻り、止まった。
 海鳴りは消え、夜の港は何事もなかったように再び静寂に包まれた。


 あれ、どこ行ったんだよ? あの娘。
 ジャズバーのステージで、いつのまにか姿を消したナコを目で探しながら鍵盤に向かっていたアキラは、はっと弾かれたように立ちあがった。相方の銀嶺が、こちらを見る。
 地震に引き続いて爆発音が聞こえたのだ。ナコの家があるという港の方角だ。不吉な予感が身を貫いた。アキラはきょとんとする客を尻目にそのまま店を出た。
「アキラ?おい」デズの声が扉の向こうに消えた。

 波止場に着いたアキラは目を疑った。
 霧がおおうなか。
 鎧をまとった小柄な姿が、一瞬見えた。ナコ。
 と、霧が風に吹き飛ばされ、同時にその姿も消えた。デズと銀嶺が追ってきた。
「誰か、いたのか?」銀嶺がアキラを見た。
「…ああ、いや」アキラはつぶやく。
「キナ臭いにおいがするなぁ。いったい何があったんだ?」デズはあたりを見回した。
 ナコの去った闇をアキラは呆然と見つめた。
 いまのはなんだ? 幻か。あの娘はいったい。
 いつしか雨は止んでいた。

 高層マンションが建つ港町の忘れ去られたような片隅、築50年の蔦の絡まるレトロなアパートメント・みなとハウスの角部屋には、『黒船みなと相談所』と書かれた小さな木の看板がかかっていた。その小さな部屋で、ナコは濡れた身体を拭いていた。
「奴らのせいでとんだ運動しちゃったよ。羽、トリートメントしないと」
 そそくさとタオルをかぶるとアルは風呂場に消えた。ナコは雄造と亡き母・美奈の写真を見た。
 お父さん。何があったの。
 いったい、何が起きてるの。
 ナコは古い木枠の窓から港を眺めた。赤い石のリングを握りしめて。
 耳に潮騒とともに、アキラたちの演奏した『サニーが憂鬱』がやさしく流れてきた。

 途方もなく暗い闘いと、一筋の救いの光と。
その両方がこの夜を境に訪れることになるとは、一人心細く震えるナコはまだ気づいていなかった。

 
つづく
                                 
When Sunny Gets Blue

 When Sunny gets blue Her eyes get gray and cloudy
サニーが落ち込むとその瞳が灰色に曇って
雨が降り始める ぴちゃぴちゃ、ポタポタと
失恋くらいなにさ 連絡が来ないぐらいで
サニーがブルーになると哀しいため息ばかり
まるで木立を吹き抜ける風が葉を振るわせるよう
誰かのヴァイオリンみたいに耳障りなメロディだ
 みんな、彼女の笑い声と笑顔が大好きなんだ
でも悲しみに笑顔が奪われて変わっちまった
 つらい思い出はそのうち消えて 次の夢がやってくるさ
早く来てあげて 新しい恋 キスであの子の涙を拭って 抱きしめてあげて
以上は 2 年前に書かれた内容です
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空想科学ファンタジー小説「シャープ♯」へようこそ。 作/丸山比朗(シナリオライター) 19話までアップしましたが、全体を見渡した上で、いま一...
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