南房総への交通の要所だった「村田川渡船場」

  2019/12/17
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昔の村田川は、現在の姿とは異なり蛇行する暴れ川でしたが河川の改修工事に拠って
渡船場があった場所は埋め立てられ公園となっています。
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川を境に上総と下総を分けていたが、現在も千葉市と市原市の境となっており、
渡船場跡近くの旧国道の橋に境界の看板が掲げられています。
写真中央が旧河川の橋で手前の公園が村田川渡船場跡です。
当時の川幅はとても狭かった。

村田川渡船場跡の全景(現在は村田川公園)

400201912171110540.jpg
江戸時代は幕府の方針で橋がなく、明治20年くらいまで船の渡しが行われており、多くの人々が利用していたことが日記などに記されています。
40代(1803年頃から)の小林一茶は房総方面への俳諧行脚を行って生計を立てており、日記に「八幡で宿泊しようとしたら一人旅の者は泊められないと断られた」と書いている。
(当時の街道は、寒川を通って村田川を渡り八幡宿へ行っていた)

『東海道中膝栗毛』で有名な江戸時代の人気作家「十返舎一九」も寒川・浜野を経て八幡の八幡宮に参り、五井・姉崎に行った。

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カバー写真は、FRP(強化繊維プラスチック)で製作した甲冑(当世具足)です。 現在活動中の甲冑工房として、江戸時代の本物から型取りした...
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