浜野船着場
以下は 4 年前に書かれた内容です
千葉市の海辺はかつては遠浅の海岸が続いていたため、江戸時代は川の澪を利用して船着場としていました。
浜野船着場では年貢米を江戸に積み出すための港として利用され、近くに在る本行寺となりに集積所の蔵を設けていました。明治時代から大正時代には蒸気船の寄港地となっていました。写真の公園は横澪を利用した河岸だった所です。
海岸は埋め立てられてしまいましたが、現在も澪の名残となった水路が残されています。
写真の正面側は国道
以上は 4 年前に書かれた内容です
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