かつて新港にあったデカいダンプの営業所
2021/6/18
以下は 3 年前に書かれた内容です
私が埋立地に引っ越してきたのは昭和48年。
生まれは江戸川区小岩、住んでたのは江東区大島。
そして千葉市美浜区高洲へ。
海抜マイナス〜3mくらいの土地にしか住んだことがございません。
当時の海浜ニュータウンの高浜地区は更地で、市営住宅か県営住宅が数棟建ってたくらいでしょうか。
稲毛陸橋も無く、バスでの最寄駅はなんと幕張!
当然稲毛海浜公園も稲毛の浜も無い時代、陸の孤島だった高洲の賃貸住宅での娯楽って親父のチャリンコに乗って港をサイクリングするくらいだったかもね。
生まれは江戸川区小岩、住んでたのは江東区大島。
そして千葉市美浜区高洲へ。
海抜マイナス〜3mくらいの土地にしか住んだことがございません。
当時の海浜ニュータウンの高浜地区は更地で、市営住宅か県営住宅が数棟建ってたくらいでしょうか。
稲毛陸橋も無く、バスでの最寄駅はなんと幕張!
当然稲毛海浜公園も稲毛の浜も無い時代、陸の孤島だった高洲の賃貸住宅での娯楽って親父のチャリンコに乗って港をサイクリングするくらいだったかもね。
巨大ダンプ
かつてはこんなダンプカーの営業所があったのです。
多分、この辺り。
現在のロイヤルホームセンターの隣のダイハツがあるところじゃないかとおもわれます。
多分、後ろに写ってる団地の角度的に。
今はこんなサイズのダンプカーを美浜区内で見ることは無いですが、バリバリ埋め立てをしていた当時は活躍してたのでしょう。
物心ついた頃だったのであまり記憶はありませんが、恨めしそうにフェンス越しに眺めていた私のために親父が事務所の人に許可をもらって写真を撮った記憶はあります。
この時以来、将来の夢はダンプの運転手になりましたが、夢は叶いませんでした。
ではでは。
物心ついた頃だったのであまり記憶はありませんが、恨めしそうにフェンス越しに眺めていた私のために親父が事務所の人に許可をもらって写真を撮った記憶はあります。
この時以来、将来の夢はダンプの運転手になりましたが、夢は叶いませんでした。
ではでは。
以上は 3 年前に書かれた内容です
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