千葉一族盛衰記 第三十七話「義朝は、常胤にとって何者だったのか 前編」【稲毛新聞2026年8月号】

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 前回、頼朝は常胤にとって「近すぎない可能性」だったのではないか、と書きました。
 
 では、なぜ常胤は、伊豆に流された一人の流人を、そのような存在として見ることができたのでしょうか。その理由を考えるためには、頼朝本人ではなく、その父である源義朝との関係を振り返る必要があります。


相馬御厨で交差した二人

 常胤と義朝の人生が最初に交差するのは、相馬御厨をめぐる争いでした。領有権が揺らいでいた相馬御厨に対し、義朝は常重から譲状を書かせ、改めて伊勢神宮へ寄進を行います。
 
 この出来事だけを見ると、義朝は千葉氏の所領へ介入した人物であり、常胤にとって歓迎すべき存在ではありませんでした。
 
 しかし、ここで一つ不思議なことがあります。もし義朝が本気で相馬御厨そのものを奪おうとしていたのであれば、常胤との全面的な対立は避けられなかったはずです。
 
 ところが、そのような展開にはなりませんでした。その後、常胤は粘り強く年貢を徴収し、納入を続け、やがて相馬御厨の実質的な支配を確かなものとしていきます。そう考えると、義朝は単純な敵ではありません。一方で、全面的な味方でもありませんでした。
 
 常胤にとって義朝とは、利害が交錯しながらも、最後には刃を交えることのなかった、不思議な距離感の人物だったのではないでしょうか。
   
後編へ続く
【著者プロフィール】
歴史噺家 けやき家こもん
昭和46年佐倉市生まれ。郷土史や伝説をわかりやすく、楽しく伝える目的で、落語調で歴史を語る「歴史噺家」として活動。著書に「佐倉市域の歴史と伝説」がある。
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